衆議院議員 寺田稔の
政治実感日誌
10月22日(月)
地元会合など。
呉市警固屋地区は、昭和3年に呉市に編入合併しました。
呉海軍工廠や呉造船所などで働く人々が警固屋地区に多く住んでいたため、東洋一の軍港と言われた呉の町の発展とともに賑やかに発展しました。
戦艦大和の建造に代表される帝国海軍の一大生産拠点であり、又当事世界最先端の技術水準を誇る人材も集結していたため、当事のアメリカトルーマン大統領は呉大空襲作戦にゴーサインを出し、昭和20年6月の、あの歴史に残る大空襲と言われた呉大空襲が行われました。
その惨禍は多くの方々により伝えられていますが、殉国之塔が鍋山公園の地でその史実を後世に伝えています。
私もかつて日新製鋼呉工場の敷地内にあった殉国之塔の鍋山公園移設のお手伝いをさせていただきました。
終戦後は人口が減少しましたが、経済成長期には呉市もかつての「東洋一の軍港」から「瀬戸内海臨海工業地帯の中核市」に生まれ変わり、海軍工廠を引き継いだ呉湾の工業集積地に隣接する住宅地として、音戸大橋を望む音戸の瀬戸公園や国民宿舎音戸ロッジなどの観光拠点を擁する賑わい拠点として活況を維持していました。
音戸ロッジの跡地には、温浴施設「汐音(しおん)」が昨年オープンしました。
また、警固屋4丁目には、大規模小売店舗もお目みえしました。
また、今年の5月には、呉で造られた三大名艦の一つ、巡洋艦青葉の記念碑が建立されました。
盛大に除幕式が挙行され私も出席させていただきましたが、青葉記念碑建立には私も汗をかかせていただきました。殉国之塔とともに警固屋の新名勝として育てて参りたく存じます。
春には警固屋さくら祭、夏の盆踊り、殉国之塔慰霊祭など、毎年開催されています。
しかしながら、この地区は、昭和60年代以降の造船不況やバブル経済崩壊、平成11年の集中豪雨、平成13年の芸予地震などにより経済的なダメージを受けました。人口減少が急速に進行し、地域活力の衰退が深刻な問題になっています。
また、ひとり暮らし老人世帯や高齢化も急速に進んでいます。
安心して暮らせるまちづくりのためにも、地域再生プランの実現が重要ですね。

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